「生きた柿酢」にこだわる理由

『最悪の場合、手術して人工肛門を付けることになります』

 20代後半、私は潰瘍性大腸炎が発覚し、医師にそう告げられました。

 当時、私はシステムエンジニアとして働いており、薬を服用していましたが、次第に薬だけでは症状を抑えきれなくなっていきました。いつの間にか、通勤電車を各駅停車に乗り換え、毎朝早い電車に乗っては、停車のたびにトイレに駆け込む日々が続いていました。

 やがて、症状を無理やり誤魔化しながら働き続けることに限界を感じ、家族のためにも、この病気と真剣に向き合う決意を固めました。

 会社勤めをやめて向かった先は、伊豆の山中にある自給自足の食養道場「伊豆ふるさと村」

 そこでは、朝晩におちょこ一杯の柿酢を飲み、粗食を少量、じっくりと噛んで食べる生活が続きました。

 それは、これまでの生活とはまるで正反対の日々でした。電車を何度も乗り降りすることも、追い立てられるように働くことも、ただ空腹を満たすだけの食事も、そこにはありませんでした。

 ふるさと村の秋山先生が教えてくださった食養に基づいた生き方は、私の価値観を大きく変えました。道端の花に季節の移ろいを感じ、自分の手で作れるものを食べる。自然を心から楽しむことで生まれる穏やかな心。そして、心と身体は日々の食事でつくられることを学びました。ふるさと村で学んだ味噌や麹、そして日々の食事の美味しさには、常に手作りの温もりがありました。

 そのうち、慢性的な腹痛や血便といった症状が徐々に収まっていきました。

 実は酢が苦手だった私。

 それでも、療養を続けるうちに、この柿酢こそが自分に必要なものだと感じるようになりました。そして、家に戻ってからも、食養道場で飲んでいた「柿酢」だけは自分たちで作るようになったのです。

※秋山先生はご逝去されております。

『よほど酷い生活をしなければ、もう大丈夫』

 主治医から告げられたのは、食養道場から帰ってきて3年が過ぎた頃でした。症状が治っても身体が健康な状態を覚えるまでには、ここまでの月日を要したのです。

 潰瘍性大腸炎と診断されてから10年、ようやく病気から解放宣言をされました。

 発症してからここに至るまで、たくさんたくさん悩みました。幸せとは何か。自分らしく生きるとはどういう事か。この病気のおかげで、家族や周囲の人たちのありがたさと、出会いの大切さ、本当に守りたいものにも気づかされました。

 この病気のおかげで、健康(健体康心:からだ健やかに心安らかに)の本当の意味を身をもって知ることができました。

 ふるさと村では、食養は真の健康の元であると実感し、酵素の大切さも教えてもらいました。

 私たちはこの柿酢を通して食養と酵素の大切さを伝えることが、人生に対する恩返しであり使命ではないかと、千葉県香取市に拠点を移し、本格的に柿酢の醸造に取り組むことを決心しました。

 立ち上げた際に、一番こだわったのは食養に基づく柿酢であること

 それは「自然由来の発酵菌が生きてる」ことが前提です。もし、ふるさと村の柿酢が生きていなかったら、私の人生はきっと違ったものになったでしょう。

 もちろん柿酢は食養の一つの食材に過ぎません。毎日の食生活において身体に良いとされる食材はたくさんあります。

 ですが、この柿酢は調味料でありながらとても大きなチカラを持っています。

 まさに自然の生命力を感じずにはいられない食材です。

どうぞ「酵素酢 柿の神髄」がみなさまの豊かな毎日の一助となりますように。

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